2018年12月8日,第42回 人間-生活環境系シンポジウムにおいて
田村と申します。只今は過分なご紹介をいただき有難うございました。お招きいただきました大会会長の宮本先生、本学会会長の松原先生をはじめ、理事会・実行委員会の皆様にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
本日は、私の研究と「人間-生活環境系会議」との関わりについて少しお話させていただき、合わせて研究内容の一部を紹介させていただきたいと思います。
1.「衣の快適性研究」との出会い
1960年当時、女性の大学進学率は2.5%という時代、私は歴史や物理が好きでしたが、女は嫁に行くので進学するなら家政学部に行けという父親に逆らえず、じゃあお裁縫も好きだから家庭科の先生になるのもいいかなとお茶の水女子大学家政学部(現生活科学部)被服学科に入学しました。
今、皆さまは当たり前のように既製服を着ていますが、当時、既製服はほとんどありませんでした。これに対し恩師柳沢澄子先生は、これからは既製服の時代と考えられ、東大の人類学教室で解剖学・人体計測の基礎を修得され、既製服のサイズ体系確立に向けた人体計測を実施されました。「女子大学の先生が女の子を裸にして(実際は水着着用)計測した」と新聞沙汰になるような時代でした。しかし時代は進み、先生によって現代の既製服サイズの礎が築かれたのです。洋裁を身に着けようと考えていた私でしたが、先生との出会いで研究の重要性・面白さに気付かされ、嫁の貰い手がなくなるとの反対を押し切って大学院修士課程に進学。人体の構造・計測・統計等を勉強し、修論では多変量解析による体型分類を取り上げました。
修士を修了するころ、順天堂大学体育学部の島口貞夫先生から解剖学・人体計測が分かる助手が欲しいとの就職話が持ち上がりました。1週間ほどは解剖学の本にあった様々な写真が目に浮かび、夜な夜なうなされていましたが、とにかく勉強になるから受けるように説得され、初めて本物の解剖学実習を経験することになります。ただ、解剖実習の後は髪の毛がとても臭います。そのような状態で家に帰り料理をするのは・・・と思い、結婚を機に文化女子大学(現文化学園大学)に採用していただきました。順大勤務は2年という短い間でしたが、解剖学以外にも医学分野で行われている研究や授業を垣間見ることができ、私にとって大変貴重な経験でした。
ちょうどその頃、文化学園大学では4年制大学新設に伴い、着装実験室・トレッドミル、脳波計など高価な機器が購入・設置されていました。しかし誰も使う人がいない状態にあり、その担当が私に回ってきたのです。人体については少しかじったものの、脳波も、筋電図、心電図も全く触ったことがなかった私は、近藤四郎先生のご紹介により東京大学の運動生理学猪飼教授の下で専攻生にしていただき3年間、その後子育てで中断ののち、東京医科歯科大学 今村晋教授の専攻生として生理・衛生学の基礎を勉強するチャンスを得、これが学位取得につながりました。
一方1976年、日本で初めてテレビの放送大学が始まりました。その試験放送を行う段階で、放送大学の矢部章彦教授から「衣生活の科学」シリーズを開始するので、そのうちの3コマ「着心地」について担当してみないかとお誘いを受けました。これが改めて、着心地とは何か、人体と着心地との関係について深く考える契機となり、今の私の研究テーマ「衣服の快適性」につながっています。
以上、少し長くなりましたが、大学入学以来自分が歩んだ道を振り返ると、恩師をはじめ優れた先達との出会い、職場・友人との出会いで、次々に新しい学問・研究への道が開かれ、現在の「衣の快適性研究」に導かれてきたことを感じます。
2.人間―熱環境系シンポジウム 〜発足当時のこと〜
本学会の前身、人間-熱環境系シンポジウム発足当時のことを紹介したいと思います。シンポジウムが開始されたのは1977年8月でした。その10年ほど前から行われていた「生体調節研究会」の先生方が準備委員となり、最初のシンポジウムが企画されました。横国の後藤先生、川島先生、北大の射場本先生、東工大の小林先生、公衆衛生院の吉田先生。鉄道労研の小木先生に若手の栃原先生、磯田先生を加えた8名で、生体調節関連の専門分野を横断するより広い領域で議論する場を設けようということになったそうです。
その中でも中心の推進役は、シンポジウムの代表幹事後藤先生と本学会初代会長川島先生で、その精力的な活躍は本当にすごかったと思います。というのは、第1回シンポジウムの開催に当たり、開催の趣旨を関連領域の主な研究者に説明して回るとともに、すでに16団体の協賛と日本学術会議の後援を取り付けておられます。これが後の本学会の基盤となり、国際会議開催に至る発展の礎となっております。
第1回シンポジウムでは、特別講演に海外から生理学者のベンツェルさんとコンズさんが招かれました。国内の講演は射場本勘市郎先生が『蒸汗孔システム・モデルによる熱的環境の設計』、森田矢次郎先生が『境界面における難問』、三浦豊彦先生が『労働熱環境の変容とその問題点』、私のバイブル『温熱生理学』の著者中山昭夫先生が『体温調節に関する最近の話題』を発表されました。また、棚沢一郎先生の講演は『生体の熱定数と温度感覚の測定』で、知覚神経の皮膚表面からの深さを、外から熱を負荷し反応するまでの時間を測定して探るというものでしたが、これが、後の私の研究「皮膚の温熱感受性分布」につながっています。西坂剛先生の『サーモグラフィーの医学応用』では、まだ一般的ではなかったモノクロのサーモグラフィーによる乳がん検診の話を興味深く伺いました。長田泰公先生は、『耐寒性の生理的指標』を、また私の上司渡辺ミチ先生は『人間-熱環境系における被服の役割』の話をされました。先生がこの会議に招かれるに際しても、後藤・川島先生のお二方が文化女子大学に来られて、人間と熱環境の間には被服が挟まっていて、被服を抜きにしては系として成り立たない、どうしても被服領域から話をしてほしいと説得され、渡辺先生が承諾されたのです。私はそのお供で参加させていただきました。
このように、第1回は学会ではなく、単発のシンポジウムとして発足しました。しかしこのシンポジウムの成功は誰の目にも明らかでした。人間と熱環境系に関する様々な領域の様々な発想の研究者・企業関係者が集まり、しかも超一流の講師陣、面白いに決まっています。会場の細長い空調学会教室は、ぎっしりと立すいの余地もないほどの参加者であふれていました。議論がとても活発で、1人20分の研究発表に対してもどんどん手が挙がり、しかも異なる領域からの質問に緊張が走ります。分野によって異なる用語、例えば人体からの放熱についても、生理学の人は乾性・湿性放熱といい、工学の人は、顕熱・潜熱移動という、また、体温と深部温、産熱、エネルギー代謝と熱産生、等、領域が異なると表現や単位も違います。異分野領域が集まるということは、意思疎通を行うにも相互に勉強し合う必要があるなどの議論も起こり、それも面白いというシンポジウムでした。
面白いので1年に1度は組織的に開催しようということになりました。そのときに学会という話も少し出たような気もしますが、川島先生が、「学会にしてしまうと一つのグループになってしまう。全然違うグループから人が集まり、1年に1度お祭りのように意見を交換し合うことに意義がある」と、かなり強固に主張され、ここから8年間会場は空調学会で、しかも年に1回の単なるシンポジウムとして開催されました。一回ごとにお金を払いシンポジウムに参加します。登録も何もありません。参加してまた次に来て、それでも人が少なくなることはありませんでした。皆、この会に来ることをとても楽しみにして、ワクワクしながら参加したことを覚えています。
第2回の熱環境系シンポジウムからは、私も準備委員として毎年参加することになりました。第2回の特別講演は皆さまもよくご存じの、高木健太郎先生の『体温調節のModulators』と、小川安朗先生の『服装発生と発達』でした。小川先生は、戦前の被服廠から東レを経て文化女子大学に着任された方で、私の着装実験室の生みの親でもあります。先生の要旨集の字が少し読みにくいと思いましたら、「本日私は、アフリカ大陸で生まれた人類がいかにして世界中に拡散したか、そこで果たした衣服の役割つまり衣服の始まりという古い時代のことを話しますので、これに合わせて要旨もガチョウの羽ペンで書きました」とのこと。いかにも先生らしい知的で優雅な特別講演でした。このほか一般講演としては、根本先生の『深部温度計による生体計測』で、この頃、耳の鼓膜温を測る、食道温を測ると言っていた時代に、先生が紹介された外から深部温を測る方法の精度はどうかという議論があったように思います。西安信先生は、ギャッギ先生と共に発表されたSET*について『温熱環境学に関する研究動向と最近の話題』の話をされました。土屋先生の『人工臓器における最近の話題』、鈴木慎二郎先生の『エネルギー代謝』、鳥居先生の『温度と伝熱計測(生体関連として)』、三平和雄先生の『サーマル・マネキンについて』。いずれのテーマも興味深く影響を受けましたが、特にサーマル・マネキンは、その後の私の研究に最も大きな影響を与えたものの一つでした。
第2回シンポジウムでは私も「サーモグラフィーによる皮膚温測定点の検討」について発表しました。皮膚温の点測定では、当時体表面の分割数と測定点の位置が課題でしたが、真の測定点の検討にはサーモグラフィーこそが有効と考えたのです。詳細は要旨集をご覧いただくこととして、発表後異分野の先達数人から面白かったといわれて自信を深め、初めてのアメリカでの国際生気象学会で発表させていただきました。
3.「人間―熱環境系シンポジウム」から「人間―生活環境系会議」へ
その後第16回まで「人間-熱環境系シンポジウム」が続き、最後の大会では『宇宙・地球・都市・建築・衣服・人間を結ぶ』という壮大なテーマで、私が大会長をさせていただきました。この時、都市工学の先生は、「最近の温暖化は、都市化、ヒートアイランドの影響だ、温暖化は確実に進んでいる」と話されましたが、宇宙工学の先生は、「そうかもしれませんがそうではないかもしれない、例えば太陽の黒点の動きを見てみると、今、とても活発化しており、地球上の問題ではなく黒点の影響もあるかもしれない、様々な現象を長い時間軸でも考えてほしい」と発言されました。全体的には温暖化の話が中心だったように思いますが、人体生理、被服、建築など同じテーマを違う視点で見ることで議論が深まることが浮き彫りになりました。
「人間-生活環境系学会」の発足は第17回以降、初代会長は川島先生で、私は会誌『人間と生活環境』創刊時の編集委員長をさせていただきました。この創刊号では、学会の発展に取り組まれた先生方が一言ずつ、学会への想い・展望などを書いていらっしゃいます。それぞれの先生方の思いが伝わりますので、ぜひご一読いただければと思います。その後、第25回では学会長を仰せつかり、実行委員長堤先生の下、沖縄で初の日韓合同シンポジウムを開催したことが思い出されます。
また国際会議といえば、1991年第1回の国際会議ICHES(International Conference of Human and Living Environment)が、吉田燦先生の下で日本大学で開催され、第2回が横浜国立大(川島先生)で、第3回は2005年文化女子大学で(田村)でお引き受けしました。大学の20階のフロアでダンス部学生のデモンストレーションを、会員も大勢参加して盛大なダンスパーティを開催したこと、この時の出会いをきっかけとして、海外の研究者との交流もさせていただいたことが思い出されます。
4.異分野交流はアイデアの宝庫
このような歴史を通して今申し上げたいことは、本日のサブテーマである「異分野交流はアイデアの宝庫」ということです。少なくとも私は、人間-熱環境系シンポジウム、その後の、人間-生活環境系会議を通して、周辺の知識や先端の研究活動に触れ、刺激を受けて、人体生理、建築・空調環境で議論されている課題が、衣服分野とどう関係し、どのように受け止めるべきかと考えました。今回改めて数えてみたところ、本シンポジウムには学生との共同研究を含めここに示す計64本の研究発表をさせていただきました。これ等の研究の多くが、その発想を本シンポジウムから戴いたことに思いをいたしております。若い会員の皆さまには、この学会に来て広い関連分野にアンテナを張り、自分も発表に参加し、時に恥をかいたり、励まされたり、さらに懇親会で勇気を出して違う領域の研究者と交流する等、大いに異分野交流を楽しみ、その中から研究の種を拾いあるいは研究の軌道を修正したりしていただけたらと思います。
5.衣の快適性 〜研究のフレームワーク〜
前述した放送大学での「衣生活の科学」分担経験から、その後「着心地の追究」15回シリーズの主担当を任されることになり、改めて「着心地とはなにか?」「着心地がいいとはどのような状態で、人間にとってどのような意味を持つのか?」と考えさせられました。結果、まず衣服の快適性は人間の感覚器で受容される刺激の種類に対応した種類がある。即ち、視覚(美しさ)、嗅覚(いい臭い・嫌な臭い)、聴覚(衣擦れなど)、味覚、体性感覚の温・冷覚(暑さ寒さ)、触覚(肌ざわり)、圧覚(締め付け、動きにくさ)、痛覚(靴擦れなど)に対応した快適性があり、これらを総合したところに総合的な快適性があるが、研究は快適性の種類別に考えるべきであるとの方針を定めました。次に「衣」に限らず人間を取り巻く環境の快適性は、ストレスと表裏の関係にあり、「着心地の追究」即ちストレスフリーな環境の実現は人間の福祉に貢献する、その研究方法としては、環境刺激(衣服)により生じる人間の3つの反応、即ち生理反応、心理反応、行動反応の測定方法・結果の読み方を確立すること、環境としての衣服の物理的特性を評価する方法を確立すること、そしてこの両者の関係から衣服の快適条件を探るという方法を考えました。以上のようなフレームワークから生まれた成果が結果として、売れる製品を開発したいという企業の論理とも重なり、その後様々な繊維・アパレルメーカーとの共同研究につながることになりました。
6.温熱的快適性に関する研究事例
1)衣服 〜人体表面に温熱ムラを作る〜
環境工学の先生がたは、当時、人間を一個の発熱体として捉えて、環境との関係性を見ておられることが多かったと思います。私はそれでは困るわけです。衣服の場合、顔が出ています、手も出ています、体幹は三重に、足は二重に覆われています。つまり体の表面に温熱ムラをつくるのが衣服の特性です。どのような温度ムラをつくればいいかを考えるためには、人間の生理・心理いずれについても、部位別の情報つまり分布こそが重要であり、これが私の研究の立ち位置となっています。
2)体表からの熱移動分布
人体の皮膚表面からの顕熱・潜熱移動分布を知るには、各種気候条件下における生理反応としての皮膚温分布、発汗分布、対流熱伝達率の分布が必要であり、反対に衣服による局所加温、局所冷却に対する生理反応の把握も必要です。
皮膚温分布については、サーモグラフィーにより30名の女子を対象に5つの環境条件下の全身皮膚温分布を精査しました。また、シンポジウムで出会った吉田アキラ先生との共同研究で脊髄損傷者のサーモグラフィーを初めて撮らせていただいたときの感動は忘れられません。第5脊髄損傷者では、寒冷下でも足の血管収縮が全く起きないのです。この経験以来、体温調節の授業ではこの写真を見せて、冬に足が冷たくなるのは冷やされるからではなく自律性に血管を閉じているため、それができない損傷者では体温はどんどん下がってしまうと言うと、皆納得してくれました。
睡眠中の皮膚温分布については、ICHES05での私の大会長講演の最後に、少しふざけて日本の若い女性の寝姿は見たいですかと言うと、皆、見たいと言うので、一晩中の寝姿をサーモグラフィーで撮ったものを紹介しました。体温と皮膚温の交錯的変化など大いに学術的であるとともに、寝姿のサーモ映像が面白かったとお褒めをいただきました。
局所加温、局所冷却に対する皮膚温反応も興味深く、手足を冷やすより体幹を冷やす方が全身皮膚温への波及効果が大きいことが分りました。
体表からの顕熱移動は皮膚温と外気温の差に、また潜熱移動は皮膚水蒸気圧と外気水蒸気圧との差に依存すると考えていました。しかしサーマル・マネキンで衣服の熱抵抗を調べた結果が矛盾することに気づき、体のいろいろな所の熱伝達率を測ってみると、体表の曲率が熱伝達率の決定要因であることを確かめることができました。工学では当たり前といわれるかもしれませんが、なぜ冬に肩や腰、膝が冷えるのかを明確に説明することができた喜びは忘れることができません。
3)心理反応の基礎 〜温冷覚閾値・湿潤覚の分布〜
体表面の温度感受性については、古くから温点・冷点に関する報告がみられますが、人体部位が手のひらや顔など限られています。衣服の視点からは全身の分布が知りたかったので、体幹部を含む25カ所の温点と冷点を調べました。大学院の李さんが死にそうなほど大変な実験をしてくれました。その後さらに、高齢者の温覚・冷覚の感受性分布を調べたいと思い、小田さんとこのような汎用型温度感受性装置を開発しました。大学院生の内田さんの測定結果、冷覚閾値は、人体部位に特異な分布を示すこと、さらに20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代と年齢とともに大きくつまり鈍化することが示されました。高齢者の熱中症は温覚感受性自体の加齢変化によるものといえるでしょう。
一方、湿潤覚はどうかと調べましたが、結論としては皮膚には湿潤感を感じるセンサーがないことが分かりました。センサーがないのになぜ湿っている、ぬれているなど湿潤感を感じるのか、それは皮膚の温度、熱流束、触覚の組み合わせによることを明らかにしました。
4)着装行動 〜街角ウオッチングとSET*の照合〜
新宿の街角で学生にカメラを持たせて、1年間、10日置きにシャッターを切り続け、1年間に大体1万人の着衣とその日の気候条件を調べました。時間の関係上詳細は省きますが、人間の着装行動はSET*から計算した気候条件適応着衣量とほとんど一致し、外れたのはクールビズ前の夏の部分でした。第1回シンポジウムでの西先生から示唆を受けたSET*で、人間の着衣行動が説明できたことに感動しました。
5)衣服の物理特性評価法の確立
衣服を構成する布地の物理特性評価はJIS にも規定されています。しかし、人体は熱・水分を同時に発生するもので、そのような熱水分共存系における布地の評価法は確立していません。これはそのような評価法として開発したスキン・モデルです。もともとドイツのホーエンシュタイン研究所で、またカンサス州立大学のジョーンズ先生の所で見たことがありましたが、いずれもかなりラフだと思い、帰国後小田さんとともにもう少し精密に測ることのできるフード付きのスキン・モデルを開発しました。布地の熱抵抗、蒸発熱抵抗をかなり精度よく測定することができます。一方、形ある衣服の熱特性評価には、人間の形の発熱体の上に衣服を着せなければなりません。前述の通り三平先生のサーマル・マネキンのお話に示唆を受けて、1970年代以降様々なサーマル・マネキン、発汗サーマル・マネキンを開発し使用し てきました。これは大学院生手造りのベビー・マネキンですが、オムツの蒸れを測るために汗もおしっこもでるように開発し、市販のおむつ4種の差を明確に示すことができました。その後も、いろいろなマネキンを開発しました。文化学園大学の学生は手が器用です。こちらは被験者の頭部、こちらはマネキンですが皮膚温分布、そっくりでしょう。文化には現在も 5体のマネキン・ファミリーと部分マネキンがいます。
マネキンによる評価の応用例を示しますしょう。2005年に開始されたクールビズですが、上着を脱いでネクタイを外し、半そでシャツになる、それが一体何度の温度差になるかをマネキンで評価・検討した結果、約2.5~3.0℃の差相当することが分りました。このように開発の効果を数値的に確認し、着用者の心理・生理・行動反応を調べ、両者の関係性を見ることで初めて、快適衣服の、エビデンスある開発ができるのではないかと思います。
それぞれの段階で、まだ多くの課題が残されています。私はこれで終わりですが、共同研究してきた多くの後輩が継いでくれことを期待しております。本日はご清聴ありがとうございました。最後に、人間-生活環境系学会の益々の発展を心より記念しております。
質疑応答
(宮本大会長) せっかくですので田村先生にご質問など、今、聞きたいことがありましたら、ぜひ手を挙げていただきたいと思います。司会のほうからですが、非常に私も、先生の温点・冷点を参考にしています。先生は、被服のみではなく、工学的なことも知識が豊富で、いろいろなことを経験されてきているかと思います。最後のほうで話していただいた、海外での測定の経験を踏まえて、測定装置を作り直してみるということは非常に大事なことではないかと思いました。何か、先生が今まで測定した中で、このようなところに気を付けると新しいものが見えてくるようなものがありましたら教えてください。
(田村先生) 一番びっくりしたのは、発汗サーマル・マネキン。私はカンサス州立大学に半年ほど行かせてもらいました。そこで発汗サーマル・マネキンを使う実験を最初から担当させてもらいました。論理は分かっっていたのですが、具体的な方法が知りたかったのです。マッカーラー先生は、ジョウロ、噴霧器で水をまき、模擬皮膚をぬらし、押さえて完全に水がしみ通るのを見た後、服を着せました。その後わずか数分しかありませんが、熱と水分の状態が平衡に達したときのデータを読み取るように言われました。仕方がありませんので行いました。照子はとても勘がいいと、出た結果が結構良かったようで、論文にしてもらいました。直感的に来るなと思わなければ読み取ることができません。それはない、科学としてはどうかと思い、帰国後私は、全身を綿ニット布で覆い、頭の上部に置いた輸血用の補水タンクから水をチューブと針でマネキン各部に誘導し、乾くスピードに合わせて水を補給し完全な平衡状態を実現することに成功しました。この方法は発汗マネキンがない所でやれますので試してみてください。次の段階では、もう少しきちんと精密ポンプにつないだ全身約180本チューブで体表面に水を吐出させることができる発汗マネキンを作成し現在に至っています。汗の研究で有名な小川徳雄先生にあなたはしつこいねと言われました。しつこいといえばしつこいですが、やらないと気持ちが悪い。でもしつこさの先に初めて今まで見えなかったことが見える喜びがあり、小川先生の言葉は誉め言葉であったと捉えています。
(宮本大会長) ありがとうございます。参考になります。
(松原先生) 大変に興味深いお話、ありがとうございました。先生のお話にありました異分野交流の大切さに関連して、ご質問をさせていただきたいと思います。
私は、この会の初代会長である川島美勝先生が、異分野の研究者が集まって研究会をするときには、何かを知らない場合でも、「お互いにばかにし合うことは絶対にしない,と言うルールでやろう」と言う趣旨のことを強調されていたことが印象的で,強く記憶に残っています。そのような異分野交流という観点に関して、先生からさらに補足していただけませんでしょうか。
(田村先生) 人に話すのも恥ずかしい思い出があります。私が発表し終わったときに、紙切れが回ってきました。小林陽太郎先生、とても偉い先生からのもので、手持ちのティッシュペーパーに書いてありました。ラブレターか何かかと思えば違いました。私がW/m2hと書いたのに対し、Wは1時間当たりの単位ですので、ここにhは要らないということでした。私は無知でした。本当にばかで、そちらを頂いたときは赤面しました。しかし小林陽太郎先生はどの質問に対しても、手を挙げて堂々とした朗々とした声で質問されますのに、私にはおっしゃらないで、そっと手渡していただきました。とてもありがたかったですし、私はそこで恥をかいて当然だったのですが助けていただきました。後で先生の前で深々と頭を下げたこと、そして仲良くしていただいたこと覚えています。ですので、今、松原先生がおっしゃったように、人をけなすときはなるべく優しく、しかしけなすというよりも訂正するのです。同じ分野同士であればコテンパンに倒してもいいです。しかし、分野が違うので知らないのは当たり前なことはたくさんあります。そのようなときは、優しく思いやりを持って接し、きちんと正すべきことは指摘する。私は服作りのために解剖・計測などから始めたものですが、ここに出させていただいたおかげで、人体の温熱生理や、初歩的な工学の考え方など、最初は耳学問で、あとは自分で読んで、調べて勉強して少しずつ守備範囲を広げてきました。異分野に配慮した交流こそが、研究者を育てていくのだと思います。あともう一つ、このシンポジウムが良かったのは、とても質問が多かったことです。発表に対して必ず何人かの質問があります。質問は、その人に不足している点を気づかせるとともに、異分野の聴衆の理解を深めます。本日もこの伝統はまだ守られていると思いました。若い研究者の方々にも質問し質問され、お互いに切磋琢磨してください。
(宮本大会長) ありがとうございました。あともう1題程度時間があります。
(高田先生) 神戸大学の高田です。ご講演、本当にありがとうございます。私の表彰式の、沖縄の写真まで出していただいてありがとうございました。
(田村先生) 立派になられました。
(高田先生) めっそうもございません。分布が研究テーマと話していただきました。分布を対象に研究するのはとてもバイタリティーが必要だと思います。なぜそのようにバイタリティーを持っていらっしゃるのですか。
(田村先生) 理由になるかどうかわかりませんが、学生は私に、先生はいつも楽しそうに研究の話をしていると言います。というのも本当に私は楽しいのです。自分が分からないことに出会ってどうなんだろうと考え、何らかの方法で答えに近づいた時、本当に楽しいのです。
そうすると、学生にもこちらの楽しさが移り、本気で共に考えてくれます。基本、これをしなさいと強く言った覚えはありませんが、ヒントを与え、それがどのような波及効果をもたらすかを伝えると、自ら進んで大変な実験を行い研究を薦めます。私は軌道修正するだけです。学生のパワーはすごいです。先ほど紹介した冷点の研究では、2㎝角の中に100個のマス目を切り、マス目を一つずつ冷たい金属棒の先端で触ってゆき冷覚の強さを聞きます。順に輪生したマスを触ると前の影響が出てしまいますので、あらかじめ座標を決めておき、点(1,3)、点(8,5)などランダムに触っていきます。とても大変な作業で、圧力を一定にするため、お腹の呼吸に伴う上下動などでは細心の注意が求められます。おざなりの仕事では成功しないのが研究です。
研究の楽しさに気づかせ、学生の力を引き出すことが研究者であり教師である者の役割と思います。
(高田先生) ありがとうございます。
(宮本大会長) ありがとうございます。もう少し先生の話を聞きたいのですが、この後、懇親会に出ていただけますので、この続きはまた懇親会にて。最後に、講演していただいた田村先生に拍手で終わりたいと思います。
(了)