2023年11月25日, 第47回 人間-生活環境系シンポジウム(福岡)において
本日は、九州大学名誉教授の栃原裕先生に「人間-熱環境系研究を巡って」と題して、ご講演いただきます。
ご紹介いただきました栃原でございます。このような機会を与えていただきました大会長の庄山先生や皆様に御礼申し上げたいと思います。
私は、人間‐熱環境系を「実態調査」と「人工気候室実験」を両輪として研究してきました。本日の内容は、最初に「謝辞」、お世話になった先生方、それから仲間たちの話をします。その後に、研究内容に具体的に入りまして、「労働衛生学的観点」、「住居衛生学的観点」、「被服衛生学的観点」、「生理人類学的観点」の4つの視点から行った人間‐熱環境系研究を紹介します。かなり以前の研究内容も全部紹介しようということで、4つの分野に分けてお話しします。そして最後に、研究は「論文」を書かないと終わりではない、といった当たり前の話、また皆様への「お願い」をしたいと思います。
謝辞:
最初に、お世話になった先生方の紹介です。当然、これらの先生方以外にもたくさんの先生方にお世話になりましたけれども、その内の何人かを紹介します。私が最初にお世話になったのは、学生時代の恩師、佐藤方彦先生です。東京大学の理学部人類学教室から若干34歳で九州芸工大に教授として赴任された先生で、非常にアグレッシブで怖い先生でした。佐藤先生は、人工気候室を多数有する大きな研究施設を作られました。施設には、高圧室、低圧室、風洞実験室、高温室、低温室、それから動物用の高低圧実験室2室、合計7つの実験室がありました。卒業研究にあたって10数人の学生がいたのですが、一期生ですから、非常に贅沢な話で、1~2名の学生で一実験室を使用しました。私は、低圧と高圧のチャンバーがすごく立派な装置ですから、高低圧実験室を使用した卒業研究を希望しました。そこで、まず被験者になれということで、被験者になりましたが、加圧するときに耳が痛くなって、がまんができませんでした。そのため、圧力実験はあきらめ、高温室を使用して、「高温下の筋疲労の研究」を卒業研究としました。それ以来、40年間にわたって、人間‐熱環境系にかかわる研究を行いました。卒論テーマが、そのまま私の人生の主要な研究テーマとなりました。
25歳になりまして就職しなくてはいけないということで、ひとりで国立公衆衛生院の長田泰公先生のところに挨拶に行き(佐藤先生には、事前に電話をしていただきましたが)、公衆衛生院に就職させてくださいとお願いしました。当時の生理衛生学部では、IBPの「耐寒・耐暑性の評価法」についての研究を多く発表していたためです。長田先生は、「うちは定員満員だが、公衆衛生院におられた吉田敬一先生が昭和大学医学部衛生学教室教授に就任されているからそこに紹介してあげる」と親切に対応してくださいました。お二人は、現在、吉田先生は103歳、長田先生は101歳で、お元気にお過ごしであります。横浜国立大学の川島美勝先生は、強烈な個性と指導力をお持ちで、シンポジウムの運営に関して色々教えてもらいました。それから、大中忠勝先生にも大変お世話になりました。先生とは、昭和大学それから公衆衛生院と、15年間以上一緒に研究を行いました。統計処理やソフトウエア開発、それに機器の設定等を全部やってもらいました。海外の研究者では、私が訪問したスウェーデン労働衛生研究所のIngvar Holmér教授にお世話になりました。教授には、九州大学に3か月間ほど訪問研究員として滞在して頂き、学生たちに対し講義や指導をお願いしました。
1997年に空気調和・衛生工学会議室で開催された第1回人間‐熱環境系シンポのことを簡単にご紹介します。私の記憶では、佐藤先生が、「ドイツのドルトムント大学の生理学者、Wenzel教授が九州芸工大に訪問研究員として滞在しているので、国際シンポジウムを計画しては」という提案を吉田先生にされたと思います。そこで、吉田先生が小林陽太郎先生(当時東京工業大学)を通じて、横浜国立大学の後藤滋先生や川島先生にお話をされて、第1回シンポが開催されたようです。私も、磯田憲生先生と共に準備委員として参加することが出来ました。著名な、中山昭雄(環境生理学)、三浦豊彦(労働衛生学)、渡辺ミチ(被服衛生学)等の大御所の先生方の講演があり、非常に感銘を受けた覚えがあります。さらに、人間‐熱環境系シンポの設立趣意書に「生理、衛生、住居、被服などの多方面の研究を有機的に結合する」のが、本シンポの役割であると書いてあり、共感を覚えました。さらに、第1回(日本大学)と第2回(横浜国立大学)の国際会議(ICHES)の開催運営に関与しました。その際、川島先生から海外担当委員として指名されました。海外の著名な研究者への招聘状送付や送り迎え等の雑務を担当し、この機会に海外研究者とも懇意となりました。
次に、公衆衛生院で共に研究した仲間たちです。信じられないかもしれませんが都築和代(関西大学)さんは私の最初のポスドクです。以降、5名のポスドクを採用し共同研究を実施しました。公衆衛生院の建物は、非常に美しく荘厳で、たびたびテレビ番組でも使われています。現在は、港区立郷土歴史館となっており、どなたでも内部も訪問できますので、ぜひ一度行ってください。そのほか、日本女子体育大学の卒論生諸君が、昭和大学と公衆衛生院時代に継続して共同実験をやってくれました。また、早稲田大学、日本女子大学等の大学の学生さんも研究に参加してくれました。なお、公衆衛生院は昭和13年に設置され、当初から日本初の人工気候室がありました。私がいた時代には、2代目の人工気候室が稼働していました。
次に、九州大学時代に共同研究した方々を紹介します。今回大会長の庄山茂子先生は博士課程だけでしたけれども、国内研修で、二度共同研究をしました。また、COEや委任経理金で、山下和章(東亜精工)、榎本ヒカル(相模女子大学)さん、Chin-Mei Chou (Yuan Ze University)達をポスドクとして採用しました。当時、私の兄も九州大学教授で、彼の研究室は教授、准教授、助教という小講座制だったですが、私の研究室は、大講座制で専任職員は私だけでした。私が研究する人がいないと愚痴ると、「ポスドクを雇え、しかも日本学術振興会(JSPS)のポスドクを。研究室の評価は、JSPSのポスドクの数で決まる」と言われました。そこで、国際学会や国内学会で将来有望な博士課程学生さんに声をかけ、学術振興会に申請しました。採択された多くのJSPSポスドク(国内3名と海外5名)と共に、多くの共同研究をしました。
大学に移る際には、①古くなった実験施設の改修、②国際会議の主催、③大型予算の獲得、を目指しました。赴任してすぐに、文部科学省に日参し、幸いにも3年目に改修予算が付きました。気圧、温度、湿度、気流、放射熱、照度、水圧等を広範囲に制御できる、10の人工気候室をもつ「環境適応研究実験施設」を設置できました。その後、アジアで初めての第10回国際環境人間工学会(ICEE)を主催しました。温熱生理学や防護服研究の中核的な国際学会です。さらには、これらの成果等が認められ、21世紀COEプログラム「感覚特性に基づく人工環境デザイン研究拠点」が採択されました。本プログラムでは、研究実施だけではなく、博士課程学生やポスドクを養成するのが重要であることがわかり、International Summer Workshopを企画しました。ニ十数名の外国人若手研究者を2週間にわたって招待して、英語による実習や講義を行いました。参加したオランダ人とスイス人の二人が、このWorkshopで知り合って結婚した、という喜ばしい話も聞きました。
研究内容の紹介:
まずは「労働衛生学的観点」です。福島医科大学の田中正敏先生が昭和大学におられたときに始めた研究です。昭和大学では、研究室に防音室を改造した小さな気候室を作って高温や寒冷暴露実験をやっていたのですが、人工寒冷下で働く人々の労働負担にも興味を持ちました。人工寒冷で有名なのは冷蔵倉庫で、その当時、約3000の冷蔵倉庫がありました。その内、約80%が‐25℃位に設定されていました。ところが、最近調べても日本の冷蔵倉庫は約3000倉庫で、過去30年間ほとんど変わっていませんでした。冷蔵倉庫で作業する方々へのアンケート調査で不定愁訴を調べました。「腰痛」、「風邪をひきやすい」、「リウマチ」等の症状が多いことが認められました。実は、これらの症状は、「冷房病」の症状と似ています。
私は「実態調査」と「人工気候室実験」を両輪として人間-熱環境系研究を行いたいので、まずは公衆衛生院で「実態調査」を実施しました。冷蔵倉庫(-21℃)で働いている10名と一般倉庫(13~15℃)で働いているフォークリフト作業者8名を対象とした調査を実施しました。まずは、タイムスタディです。作業者と常に行動を共にし、作業内容(姿勢や強度)や、冷蔵倉庫への入出庫時間等を全部チェックしました。ご存じの方もおられるかと思いますが、公衆衛生院は保健師や保健所の医師の再研修、共同研究を行う機関でしたので、たくさんのエキスパートがいました。彼らはプロですから、完璧に現場調査をこなしてくれました。冷蔵倉庫作業者は、平均一日2時間ぐらい冷蔵庫に入ります。ただ入庫回数は一日75回位ですから1回あたりの寒冷暴露時間はほぼ5分以下で、非常に短いということがわかりました。同時に、その当時、ウエアラブルの生体情報測定装置はあまりなかったのですが、作業者には皮膚温センサーを付けてもらい、作業時間中、1分毎に測定しました。足先皮膚温の特徴として、一回下がるとなかなか元にはもどらない。防寒ブーツの断熱性の影響もあるのですが、足先というのは寒冷の影響が残りやすい部位ということです。フォークリト作業者の、各部位ごとに作業中の最低皮膚温平均値を計算しました。当然、頬、指先や足先の皮膚温は、冷蔵倉庫群の方が低いわけですが、胸皮膚温は両群ほぼ同一で、防寒服の体幹部保温性能は十分でした。しかしながら、末梢部位の保温は不十分で、指先は10℃、足先は13℃というような、「しびれ」や「痛み」を感じるぐらいの皮膚温度まで低下していました。さらに、作業前、10時、昼休み前、15時および作業後の5回、いろんなパフォーマンステストを作業者に行いました。「手の震え」、ピンチ力、フリッカー値、ピークフローレイト、カウンティング、握力、最高血圧、最低血圧を測りました。両群間に差があったのは「手の震え」と最低血圧、この「手の震え」というのは各種ストレスに対する反応、特に寒冷に対する全身ストレスを評価するのに使われます。今回の冷蔵倉庫フォークリフト作業では、作業能に大きな影響はないけれども、全身的ストレスが大きいということが分かりました。著しい寒冷だけでなく、冷蔵庫内外の大きい温度差(約35℃)が影響したのではないかと思っています。
当時、2代目の人工気候室は稼働していましたが、設定温度幅は10~40℃しかないので、厚生省にかけあいまして、設定温度が‐40℃までの新しい人工気候室を設置しました。最初に行った実験は、「頻回寒冷暴露が生理反応や作業能に及ぼす影響」で、永井由美子(大阪教育大学)さんとの共同研究です。-25℃の寒冷暴露5分間を12回、10分間を6回、20分間を3回実施した時の生理心理反応を測りました(図1参照)。最終的には同じような直腸温低下が3条件で認められました。指先のカウンティング数も、20分間、10分間、5分間ともに最終的には85パーセント位まで3条件ともに低下しておりました。
次に、尾崎博和(航空医学実験隊)さんと「深夜の冷蔵倉庫作業の生体負担と作業能」に関する共同研究を行いました。深夜とは市場が開く朝3時です。午後は午後3時に、以下の様に寒冷頻回暴露の実験をやりました(図2参照)。
この実験は、13名の男子学生を対象とした実験で、私が経験した実験研究のなかでも一、二位を争うほどの非常に過酷な実験でした。被験者として参加いただいた日本体育大学の学生さんに感謝です。直腸温の低下度をみてみますと、深夜の方が有意に大きいことが分かりました。指先の皮膚温は、深夜の方が高値を示しました。そのため、指先の寒さの訴えや痛みは、深夜の方が少なくなっておりました。ところが、深夜のほうが、指先作業能が低下していました。まとめてみますと、冷蔵倉庫の設定温度は-25℃が多く、冷蔵倉庫作業者は「腰痛」、「風邪をひきやすい」等の訴えが多い。冷蔵倉庫フォークリフト作業では短時間に頻回に寒冷にさらされ、身体末梢部皮膚温の低下が大きい。短時間でも頻回に寒冷に曝されると、核心温や作業能の低下は、同時間の連続暴露と同様である。深夜の末梢部皮膚温は、午後よりも高く、被験者の寒さや痛みの訴えは深夜が少ない。しかしながら、深夜の直腸温低下や手指作業能の低下は大きく、低体温症や事故のリスクは夜間の方が高いということがわかりました。
次は「居住衛生学的研究」です。1970年に「建築物における衛生学的環境の確保に関する法律」が小林先生たちにより制定されました。私が所属した公衆衛生院生理衛生学部と建築衛生学部は、本法律に関する研究に携わるのが仕事の一つでした。そこで、建築衛生学部の池田耕一先生たちと一緒に、ビル内の温熱・空気環境の実測、利用者のアンケート調査を実施しました。また、生理衛生学部では、人工気候室で「温熱環境と衣服条件」に関する実験を行いました。その成果が、Cool BizやWarm Bizの設定温度の基礎的なデータになったと思っております。公衆衛生院は厚生省の研究機関ですので、大学と違って、毎年本庁に研究計画を提出しなければなりません。そのために、膨大な量の研究申請書の作成作業に追われました。ここでの訓練は、九州大学に移っても、大型研究費の申請に役立ったと思っています。
次に、私が興味を持ったのは、日本での入浴死の急増でした。これは、新しい研究の種になると思い、3代目人工気候室に浴室を設置し入浴実験を開始しました。九州大学に移ってからは、高齢者を対象とした入浴実験や、各種温熱条件下での高齢者の生理心理反応を調べる実験を実施しました。非常に運がよかったのですが、非常勤で内科医の加地由美先生が研究に参加くださいました。彼女には、高齢者の健康診断、高齢者実験に立ち会ってもらって、被験者の安全の確保をしました。家庭内の不慮の事故の死因1位は、今は「溺死」が圧倒的に多く、その内9割以上が高齢者です。欧米では、「転倒・転落」が1位です。「不慮の溺死」の発生場所は、Linら(2015)の調査によると、ポーランドやアメリカでは、スイミングプールとか、川や海で亡くなっていました。日本では、ほとんどが家庭の浴槽で起きていました。また、「入浴死」は冬季に多いことが調査から示されています。高橋や鈴木らの調査によれば、1年間に2万人位の日本人が「入浴死」で亡くなっていました。
そこで「実態調査」を行いました。大中先生、高崎裕治先生(秋田大学)、永井先生、それに日本ガス協会と共同で、全国11地域の高齢者が居住する、比較的古い1戸建て住宅を各地域30か所以上選んで、「浴室温熱環境の冬季全国実態調査」をしました(図3参照)。
高齢者が居住する住宅の浴室、脱衣室、廊下、居間、寝室の室温、外気温、湯温を、冬の1週間1分毎にデータをとりました。特記すべきは、これらの数値は、高齢者が入浴中の時間帯の室温・外気温の平均値です。どの時間帯に高齢者が風呂に入ったかを、アンケート調査と湯温度の変動で推定しました。外気温は当然、北国では下がっていくので、札幌は-5℃で、鹿児島では比較的外気温は高い。ところが脱衣室温を見てみますと、ほとんどの地域が15℃以下でした。逆に、札幌の脱衣室温は22℃位でした。地域の入浴死亡率と高齢化率、室温や外気温との関係を大中先生が分析したところ、「高齢化率」が高いほど「脱衣室温」が低いほどその地域の入浴死が多いということがわかりました。これからは、「高齢者の各種温熱環境下の生理的反応の特徴」の実験を紹介します。
最初は、田村照子先生(文化学園大学)とインタークロスが開発した温冷覚閾値計を用いた「実験研究1」です。22℃と28℃の室温下で若年者と高齢者の身体各部位の温感閾値を測定しました(図4参照)。下肢、上肢で温感閾値が有意に高齢者は鈍いということがわかりました。しかも、「低温やけど」に関して皮膚温が43℃を超えないようにするというのがISOの基準で決まっていますけれども、高齢者の場合は室温22℃の時、下腿皮膚温が43℃にならないと「温かい」と感じないことが分かりました。
次は、上下温度差の実験で、橋口暢子(九州大学医学部)さんが担当した「実験研究2」です。人工気候室内に空調ボックスを作り、下部温度を16℃、19℃、22℃、25℃とし、上部室温は、25℃一定にしました(図5参照)。男子学生と高齢者を3時間、上下温度差がある条件に暴露し、連続して血圧を測定しました。若年者は、下部温が下がっても血圧上昇がないのですが、高齢者は下部温度22℃から、収縮期血圧が10mmHg上昇しました。温冷感的には、高齢者は、若年者と比較して、同様か、不快感が少ないことが示されました。血圧変動に示された高齢者の生理的負担は、上下温度差がISO基準値3℃でも生じることが分かりました。
「実験研究3」は、低湿度の影響です。低湿度の人体影響に関する実験は、神戸大学の高田先生グループにより精力的に行われていますが、以前の我々は、博士課程のYujin Sunwooが実施しました。気温25℃で相対湿度10%、30%、50%の条件下で3時間滞在したときに、皮膚や目の機能に加え、鼻の粘膜繊毛運動能を、サッカリンクリアランスタイム(SCT)により測定しました(図6参照)。鼻の中にサッカリンをいれて、「甘い」と感じるまで何秒かかるかを測定します。若年者では、平均15秒ぐらい、高齢者は平均25秒位でした。ただし、この測定法は容易ではありませんので、三重大学医学部耳鼻咽喉科に習いに行きました。しかも、運がいいことにSunwooの父親が耳鼻咽喉科医だったので、彼女は練習を重ねました。相対湿度10%の条件下で、高齢者だけが、前値に比べてSCTが有意に増加し、繊毛の活動が低下しました。一方では、喉や目の乾燥感は、若年者は、乾燥感がよくわかるのですが、高齢者は「普通だ」と、湿度の変化を感じないということが示されました。
次は、室温の変化の「実験研究4」で、28℃⇒43℃⇒13℃⇒28℃と室温を変動させました(図7参照)。これもかなり過酷な実験で、裸ですからかなり寒く、加地先生には大変お世話になりました。高齢者の被験者選定にあたっては高血圧でない、心電図に異常がない、血液に異常がないということを確かめてやったものですから、常温時や室温上昇時には血圧に年齢差は認められませんでした。しかし寒冷時に入ると、高齢者の血圧上昇が非常に大きく、28℃の常温に戻っても高齢者の血圧は10mmHg以上大きいことが示されました。寒冷暴露後のアフターエフェクトが、高齢者では著しく大きいということを、若林斉(北海道大学)さんの尽力もあって論文化することができました。
さらに「高齢者の入浴に伴う生理心理反応に及ぼす室温の影響」の実験を行いました。前室が23℃で、脱衣室が10℃、15℃、20℃、25℃の室温下で40℃8分間の入浴をしてもらい、各種測定を行いました(図8参照)。全身温冷感の経時的変化は、若い人に比べて高齢者は同じ湯温でも、「熱い」と言いませんでした。脱衣室では、暖かい時には年齢差はないのですが、室温が低くなると、高齢者ほど寒さを訴えにくいということがわかりました。脱衣室における収縮期血圧の上昇度を調べると、10℃、15℃、20℃の室温下では、明らかに高齢者の方が大きい。ただし、25℃の場合には、年齢差はありませんでした。若い人の場合は、室温20℃あれば十分なのですが、高齢者の場合は20℃でも血圧上昇が認められ、高齢者にとって安全な脱衣室温度は20℃以上であろうと思われました。
Nagasawaら, Miwaらと私の実験をまとめた高齢者の入浴時の生理反応の模式図です。熱いお湯に入りますと心拍数が増加し、血圧はやや下がり、核心温度が上がり、発汗量は増え、それに心拍変動のHF成分(副交感系指標)は低下する、これらが若い人の一般的な生理反応です。一方、高齢者は、高温入浴に伴う心拍数増加は比較的少なく、入浴に伴う血圧の上昇と低下が大きい。入浴中の大きな血圧低下は失神を起こし、浴槽中の失神は溺死につながり、短時間に死亡する事故につながりやすいと思われます。高齢者の、体温調節反応は、入浴中の発汗、血流量の増大が少なくなっています。そして、核心温度の上昇が高齢者では少ない傾向があります(図9参照)。これは汗の研究者である井上芳光先生が発表した高齢者の暑熱下生理反応の特徴に似ています。ですから、高齢者は入浴しても体が温まり難く、お湯の熱さを感じにくく、彼らは長時間高温浴をしがちになります。高齢者の冬季入浴死の予防法は、「脱衣室・浴室温を20℃以上とすること」、いろいろな入浴死予防法が提案されていますけれども、私は室温の維持が一番大切と考えております。
まとめますと、高齢者の温感感受性は低く、特に下肢の低下が著しい。各種温熱条件下(上下温度差、低湿度、室温変動)で、高齢者の生理的負担が著しい。ただ、心理的(主観的)な年齢差は少ないか、高齢者は劣化している。高齢者戸建て住宅の冬季の浴室・脱衣室温は低く、この室温が低い地域ほど入浴死が多い。高齢者は、冬季入浴前後の寒さを容認する傾向にあり、入浴中はあまり熱さを感じない。脱衣室・浴室の暖房(20℃以上)が不可欠である。
次は、「被服衛生学的観点」です。被服衛生学的観点からの研究は、吉田先生が代表者となった科研費「密閉型防護服の被服衛生学的機能に関する総合研究」に田村照子、大野静枝、中島利誠先生らと班員にしていただいたのが始まりです。それ以降、アスベスト防護服、防寒服、消防用防火服、原子力防護服、化学防護服着用時の温熱負担の「実態調査」と「人工気候室実験」を重ねました。深沢太香子(京都教育大学)さんと、低圧室(4000m,10℃)でサーマルマネキンと被験者とで、登山服の熱移動の基礎研究も実施しました。今回は、消防防災科学技術推進制度で3年間行った「防火服の熱ストレスと動作性評価の標準テスト開発」を紹介します。防火服に関する規格は、生地の物理特性、手袋やブ-ツの操作性の規格(ISO11613, CEN TC 162, EN469… )はあるものの、防火服、ヘルメット、空気呼吸器(SCBA)、ブーツなどのフル装備での防火服着用時の熱ストレスと動作性の評価に関する標準負荷テストはありません。標準負荷テストがないと、防火服の性能比較や再現性テストも実施出来ません。まずは、Su-Young Son (Kyungpook National University)と行った実態調査研究です。
1,282名の消防隊員にアンケートをとりまして、平均消防活動時間、フル装備での活動時間、熱中症の発症時期や、そのトラブルなどを詳細に調べました(図10参照)。防火服着用時間は平均66分位、SCBA約9kg背負ってのフル装備での活動時間は25分位でした。そこで全体が1時間、実際に運動するのが30分間の被験者実験を行いました。これは博士課程のIlham Bakri (Hasanuddin University)と実施した実験です。22℃と32℃室温下で、衣服条件4条件の実験を行いました(図11参照)。すなわち、コントロールの防火服、防火服にタイプA:重たいSCBA、タイプB:軽いSCBA、タイプC:軽いSCBAでしかも改良ハーネスを使用したものです。
運動時の酸素摂取量は、32℃条件下のみに、コントロールに比べてタイプA(SCBAが一番重たい)条件間に有意差がありました。さらに、32℃室温だけで、温冷感、不快感の衣服条件間差異がありました。標準負荷テストは、実際の夏季の温度に近い暑熱条件で行う事が望ましいことが認められました。それから、運動強度の選定と体重の問題、被験者として学生と消防隊員はどっちが望ましいのか、トレッドミルの運動強度は「相対運動強度」か「絶対運動強度」どちらが良いのかを検討しました(図12参照)。実験条件は、絶対強度は5.6km/h、相対強度はVO2max40%にしました。絶対強度5.6km/hの運動時の学生と消防隊員の酸素摂取量の平均値です。学生は運動すると、酸素摂取量に個人差が多く生じます。しかも、運動している間、どんどん酸素摂取量が増えました。それに対して消防隊員は、ほぼ定常化していました。5.5㎞/hと一定の運動負荷でしたが、明らかに学生さんの方が増えている。消防隊員は絶対強度と運動強度を見てみますと酸素摂取量にそんなに差がない。心拍数は学生の方が高く、消防隊員の絶対強度と相対強度で心拍数は一致しました。結論として、トレッドミル運動強度は「絶対運動強度」でよい。最大酸素摂取量の測定が必要ないので、負荷テストとして「絶対運動強度」の方が容易です。学生と消防隊員では、被験者としては訓練されている消防隊員の方がよいことが確認されました。また、消防隊員を推奨するのは、安全性の観点からです。学生は、運動鍛錬の有無により体力水準が大きく異なり、被験者選定が困難です。Ergonomicsに最近総説を書いたので、詳細はご覧ください。まとめますと、環境温度32℃、相対湿度60%、被験者は訓練された消防隊員が良く、着装はフル装備であること。測定項目は最低限、直腸温、皮膚温、心拍数、主観的運動強度、できたら酸素摂取量や体重減少量を測ったら良いということになります(図13参照)。
最後の「生理人類学的観点」です。アフリカの中央・チャドで一番古い人類化石が出て、人類は約700万年前にアフリカのジャングルで誕生したとされています。約400万年前になると、サバンナに進出し、アウストラロピテクス猿人の時代に直立二足歩行がかなり出来るようになりました。そしてHomo erectus時期に直立二足歩行を完成しました。同時に、脱毛してエクリン腺が増加し、アフリカの30℃程度の乾燥したサバンナで、長時間走って狩が出来るようになりました。肉を食べることが出来るようになり、その結果脳が大きくなって利口になりました。人類進化の順番としては、直立二足歩行、脱毛、エクリン腺増加、肉を食べて脳が大きくなる。脳の発達が、最後です。さらに100万年ぐらい前に火を使うようになって、肉食が進みました。190万年前位前にHomo erectus、6万年前にHomo sapiens(現代人)が、アフリカから出て、寒冷なヨーロッパやアジアにも出現しました。
700万年の間のほとんどの期間、人類は暑さに耐えるために、生理学的にも形態学的にも適応しました。ところが、人類史7百万年を1年のカレンダーに換算すると、紀元元年は大晦日の午後9時30分に相当します。暖房ビルや冷房ビルができた時代は、大晦日23時52分に相当します。もともと持っていた人類の耐暑性等の能力は、ここ100年ほどの人工的な温熱環境の拡大によって、その潜在能力が劣化するのではないかとの心配があります。
そこで、私どもは生理人類学の観点から「熱帯地住民の暑熱適応能に関する研究」を行いました。この研究の一番の特徴は、熱帯地住民を九州大学に短期間招待し、同じ実験手法で九州大学学生と耐暑性等を比較検討したことです。JSPSの支援により九州大学で博士号を取得したMohamed Saat (Universiti Sains Malaysia )と共同研究を行いました。マレーシアのコタバル(年平均気温27℃)の学生を10人選んで、福岡(年平均気温17℃)に来てもらいました。まずは、マレーシア学生(MY)の体格やVo2maxを測定して、彼らと合うような九州大学学生(JP)を選びました。すなわち、体格と体力に差異がないような学生を被験者として、同じ人工気候室で、以下の3つの実験を行いました(図14参照)。3時間安静、60分間下腿温浴、それから60分間55%Vo2max運動です。3実験とも体重減少量には、両群間に差はありませんでした。安静時の直腸温は、MYの方が有意に高く、逆に、末梢部の皮膚温は、MYが低いということがわかりました。しかしながら、下腿温浴最後や運動終了時には両群差が認めらません。すなわち、MYの直腸温上昇度は小さくて、耐暑性が明らかに強いことが示されました。さらに安静実験では、両群の温冷覚閾値の部位差をJoo-Young Lee (Seoul National University)と調べました。MYの温感皮膚温は、前額部でより高く、冷覚皮膚温は、末梢部でより低いことが認められました。さらに、MYは、暑熱時の「暑さ」の訴えが少ないことが分かりました(図15参照)。
次は、Titis Wijayanto (Universitas Gadjah Mada)との実験で、東南アジアから九州大学に来た学生の、4か月から5年位滞在後の発汗反応を調べました(図16参照)。福岡滞在が長くなるほど、下腿温浴時の総発汗量が多くなって、発汗開始時間が短くなりました。心拍数や直腸温には、滞在に伴う変化は見られません。暑熱適応の脱順化は、最初に発汗から始まることがわかりました。
修士課程学生の虎本紗代さんと、「熱帯出身男性と温帯出身男性の温冷覚閾値」 について、季節間(春期、夏期、秋期、冬期 )および出生地域間での比較を行いました(図17参照)。熱帯出生者の皮膚温度感受性に季節差は認めらませんが、温帯出生者には明らかな季節差がありました。まとめますと、体力・体格を一致させたマレーシア人学生(MY)を福岡に招待して日本人学生(JP)と暑熱適応能を比較検討した。安静時の直腸温はMYが高く、末梢部皮膚温はMYが低い。暑熱暴露時の直腸温上昇度は、MYが有意に小さく、耐暑性がある。前額部のMY温感閾値は高く、「暑さ感」が少ないことと関連した。47か月の福岡滞在によって、総発汗量は増加し、発汗開始時間は短くなった。その他の生理項目には変化は認められない。熱帯出生者の皮膚温度感受性には季節差は認められない。
おわりに:
最後に、調査や実験をしたら論文にしてくださいという話です。私自身の反省に基づいています。1985年にデサントスポーツ財団の援助で「長時間運動時の生理反応における湿度の影響と性差」という研究を行いました。気温30℃で相対湿度35、60、85%の3条件下で、男女各6名を対象として、100ワットの自転車運動を行わせ、生理反応の性差を検討したものです。その結果、女性の方が無効発汗量が少なく、総発汗量も少ないという、非常におもしろい知見が得られました。ところが、私はその時に財団報告書しか書きませんでした。汗研究で有名な井上芳光先生が、2005年に同じような発汗性差の研究をEur J Appl Physiolに発表されたので、私も昔同じような研究をやりましたといってこの報告書を見せました。しかし、「これは論文じゃない」と言われ、恥ずかしい思いをしました。ぜひ「研究したら必ず論文にする」ということを心掛けてください。特に最近はAIの発達で、論文を英語化するのはそれほど難しくないと思いますので、ぜひ英文誌に投稿してください。
次はお願いです。大学への研究資金支援です。日本では教育界への公的資金は過去30年間全然増えていません。一方、韓国は2倍に増えています。完全に負けています。逆に大きく減っているのは、国立大学運営交付金です。私の時代には、一人当たりの研究費が教授は年間100万円位ありましたが、今は40万円もないそうです。コピー代でなくなるようです。日本の大学の将来が本当に危惧されます。国際交流については、昔は国公立大学の教員は、生涯一度は、海外研究員制度を利用して、10ヶ月間海外の大学等に行くことができましたが、現在は廃止されてしまいました。それから、海外の大学では一般的な、7年に一度は休職して海外等で研修出来る制度「サバティカル」も、日本の大学にはほとんどありません。一度も海外留学経験のない教員に、国際的な研究を期待するのは無理な話でしょう。
また、共同研究者を大切にしてください。私も悲しい思いをしたことがあります。医学部時代に1年間にわたって週何回か共同研究で一緒に実験して、当然私も論文の共著者になると思っていたら、最後の「謝辞」だけで済まされました。この時は非常にがっかりしました。修士課程の学生に仕事をほとんどやらせて、自分の名前だけで論文にするという事はやめてください。
最後にソウル大学のJoo-Young Lee教授が2024年の6月3-10日に韓国済州島で第20回国際人間工学会を開催しますので、ぜひ参加してください。「共同研究者に感謝」して、本日の講演を終わらせて頂きます。
今日お話しした研究内容の詳細は、以下の論文を参考にしていただければ幸いです。
- Ozaki H, Nagai Y, Tochihara Y. 2001. Physiological responses and manual performance in humans following repeated exposure to severe cold at night. Eur. J. Appl. Physiol. 84(4):343/349.
- Tochihara Y, Yamashita K, Fujii K, Kaji Y, Wakabayashi H, Kitahara H. 2021. Thermoregulatory and cardiovascular responses in the elderly towards a broad range of gradual air temperature changes. J. Therm. Biol. 99:103007
- Tochihara Y, Lee JY, Son SY, Bakri I. 2022a. Heat strain of Japanese firefighters wearing personal protective equipment: a review for developing a test method. Ergonomics, 66(5):676/689.
- Tochihara Y, Lee JY, Son SY. 2022b. A review of test methods for evaluating mobility of firefighters wearing personal protective equipment. Industrial Health (2):106/120
- Tochihara Y, Wakabayashi H, Lee JY, Wijayanto T, Hashiguchi N, Saat M. 2022c. How humans adapt to hot climates learned from the recent research on tropical indigenes. J. Physiol. Anthropol. 41:27
- Tochihara Y. 2022. A review of Japanese-style bathing: its demerits and merits. J. Physiol. Anthropol. 41:5
- Hashiguchi N, Tochihara Y, Takeda A, Yasuyama Y. 2023. Effects of indoor summer dehumidification and winter humidification on the physiological and subjective responses of the elderly. J. Therm. Biol. 111:103390.
- Tochihara Y. 2023. Effects of vertical air temperature differences on thermal comfort, mental performance, and physiological responses: A review. J. Human-Environment System. 25(2):1/9.